2/14/2008

コンテンツというデータ

実は音楽を作る側の人間として、世間で「音楽」を「コンテンツ」と
呼ばれることに抵抗を感じてしまいます。

今日は、「作品」ではなく「コンテンツ」と呼ばれるようになって
しまった音楽の話。



コンテンツ とはIT用語辞典によると、

デジタルデータで表現された文章、音楽、画像、映像、データベース、
またはそれらを組み合わせた情報の集合のこと。


私は小学生3年生の頃に初めてコンピュータ言語に触れました。
任天堂のファミリーベーシックです。

ファミリーベーシックの記憶媒体はカセットテープだったのですが、
その後、NECのPC-8801mkII FRを触るようになり、プログラムの
記録メディアがフロッピーディスクになったときのカルチャーショックを
今でも覚えています。

この辺の詳しい話を書くと 長くなるので本日の要点だけ書きます。

当時、PC-8801mkII FRには、音楽とCGが同期したデモディスクが
付属していました。このデモを見たときに一つ、「ふと思ったこと」が
あります。

「この地球上のすべてのもの、例えば、車の場所、スピード、人の位置、
話している内容、ありとあらゆるこの地球上の情報を1秒間記録するのに、
どれだけの容量が必要なのだろう?このフロッピー何万枚分になるんだろう?」

当時、2Dのディスクは確か320KBだったので、自分の知っている限りの知恵を絞って、一人(一台)当たりに必要な情報量と、車の台数や、自然の木の本 数など、、、、、図書館で統計データを調べて算数しました。新しい記録対象が次々思いつくし、知っている単位はKB (キロバイト)だけなので、とてつもない桁になったりと、答えが出なかった記憶があります(笑)

なぜ iPhoneの写真を使ったかというと、単純に地球のイメージが欲しかったから(笑) このような地球の写真を見ると、幼い頃を思い出して、地球上のあらゆる情報の記録に必要な情報量を計算したくなってしまいます。

PCが普及する以前は、静的なその状態の記録だけを考えれば済んだのですが、PCはじめデジカメ、ビデオ等、デジタルレコーダが普及するにつれ、先日のエントリ>で書いたように、世界レベルで個人個人がコンテンツを生み出せる状況になってきているため、一人あたりが生み出す情報量は日増しに増えています。





Fig-080214

ここに示した図 (Fig-080214)は、2006年度のうちの会社の事業説明会のために作った説明資料です。
映像に関してのモバイルコンテンツとHD (Hi-Definition)コンテンツの予測みたいなことを書いていました。

これからのコンテンツは、家や映画館などそれなりに設備が整った環境でじっくりと視聴する高解像度のものと、気軽に視聴できるモバイルコンテンツの2方向 に進むと思います。もちろん、モバイルコンテンツもHDのベクトルに近づくとは思いますが明確に分かれていくと思います。

モバイルコンテンツの本質は、「いつでも・どこでも・誰でも」というところにあると思いますが、同時に「質より量」のような感じになってしまっています。 「いつでも・どこでも」という瞬間的な欲求を満たすだけの「コンテンツ」はいわゆる消耗品であり、そのときの人間の欲求が満たされれば捨て去られる運命に あります。

そのような消耗品にDRMをかけようとしている日本の業界の姿は、意味もなく「既得権益を守る」ことに必死ですね。DRMをかけてまで守る「作品」はどれ だけあるのでしょうか。そのときだけの流行に流されたり、一時的な欲求を満たすだけでなく、「本当に良い」ものはいつまでも残り続け、「作品」と呼ばれる ようになります。

このような「作品」と呼ばれるような秀逸なものを作り上げるには、多くの人の協力が必要だと考えます。

昨今、PCがあれば一人でもある程度の形にできてしまうので、ある程度のクオリティで世の中にリリースされてしまう消耗品音楽が増えています。映画のよう に脚本家、監督、カメラマン、キャスト、CGスタッフ等、役割分担をして、それぞれの分野で最高の能力を発揮しないと「作品」が作れないのと比較すると、 その違いがよくわかります。

現に、作詞、作曲、編曲、ミックス、マスタリング等、役割分担された作品は長く残り続ける傾向にあります。音楽って、「詩」が心に響くものもありますし、 「メロディ」が頭に残るものもありますし、もちろん両方が融合しているものも多いですよね。音楽は何か人間の感情を揺さぶる力を持っています。それにもか かわらず、PCが普及し携帯電話が一人一台持てる国では、感動が薄い音楽が溢れる時代になってしまいました。

そのため先進国では、音楽産業がコンテンツという消耗品 (筆者はインスタントミュージックと読んでいる)を作る産業になってしまった気がします。0(無)から1(有)を生み出すように創造するのではなく、放っ ておけば0になってしまう1を数多く作る産業になってしまったのかもしれません。モバイルというのは人を便利にする一方で、本当に大事な「もの」を衰退さ せてしまう諸刃の剣でもあることを心に留めておかなければならないと思っています。

そんな「消耗品の音楽しか聴いてないな」と心当たりがある方は、ぜひクラシック・コンサートに足を運んでみてください。音楽とは「耳だけで聞く」のではな く、「体で感じ」、「心に響く」ものであることが実感できますよ。モバイルで瞬間的な満足を得るのとは違って、長く感動が残ります。私なんか、クラシック コンサートの映像を見ているだけでも、「じわっ」とくるものがあります(笑)

このように、人の心を動かすことが携帯電話上で実現できないかと日々考えています。
(この第一弾が、「ケータイでもCDのように、こんなキレイな音がでるの〜!?」という、ケータイ向けリマスタリング技術の追求でした。)

モバイルでも「長く心に残るような体験ができる方法」を模索する私のアメリカでの活動はまだ始まったばかりです。
そんな本質に注目してこそ、ビジネスチャンスがありますよね。

これからは 「いつでも・どこでも・だれでも」手に入れられるオンライン&オフライン・コンテンツと、「今だけ・ここだけ・あなただけ」経験できる体験の融合によってコンテンツビジネスは活性化していくのではないかと考えています。

つまり音楽の例で言えば、ipodなどのデジタルミュージックプレーヤで再生できるデジタルデータやCD&DVDなどのオフライン(パッケージ)と、その アーティストのライブや公演に行くという体験の融合によって音楽産業は発展するでしょう。著作権などの権利処理がキーになっていくと思いますが、国や政府 などの壁を越える方法、アーティストに対する正当な分配モデルがうまく構築されるにはまだ時間がかかると思われますので、それまでは混沌とした状態がしば らく続くと思います。

これらがうまく処理されて初めて長く残る「作品」になっていくでしょう。