実は音楽を作る側の人間として、世間で「音楽」を「コンテンツ」と
呼ばれることに抵抗を感じてしまいます。
今日は、「作品」ではなく「コンテンツ」と呼ばれるようになって
しまった音楽の話。
コンテンツ とはIT用語辞典によると、
デジタルデータで表現された文章、音楽、画像、映像、データベース、
またはそれらを組み合わせた情報の集合のこと。
私は小学生3年生の頃に初めてコンピュータ言語に触れました。
任天堂のファミリーベーシックです。
ファミリーベーシックの記憶媒体はカセットテープだったのですが、
その後、NECのPC-8801mkII FRを触るようになり、プログラムの
記録メディアがフロッピーディスクになったときのカルチャーショックを
今でも覚えています。
この辺の詳しい話を書くと 長くなるので本日の要点だけ書きます。
当時、PC-8801mkII FRには、音楽とCGが同期したデモディスクが
付属していました。このデモを見たときに一つ、「ふと思ったこと」が
あります。
「この地球上のすべてのもの、例えば、車の場所、スピード、人の位置、
話している内容、ありとあらゆるこの地球上の情報を1秒間記録するのに、
どれだけの容量が必要なのだろう?このフロッピー何万枚分になるんだろう?」
当時、2Dのディスクは確か320KBだったので、自分の知っている限りの知恵を絞って、一人(一台)当たりに必要な情報量と、車の台数や、自然の木の本 数など、、、、、図書館で統計データを調べて算数しました。新しい記録対象が次々思いつくし、知っている単位はKB (キロバイト)だけなので、とてつもない桁になったりと、答えが出なかった記憶があります(笑)
なぜ iPhoneの写真を使ったかというと、単純に地球のイメージが欲しかったから(笑) このような地球の写真を見ると、幼い頃を思い出して、地球上のあらゆる情報の記録に必要な情報量を計算したくなってしまいます。
PCが普及する以前は、静的なその状態の記録だけを考えれば済んだのですが、PCはじめデジカメ、ビデオ等、デジタルレコーダが普及するにつれ、先日のエントリ>で書いたように、世界レベルで個人個人がコンテンツを生み出せる状況になってきているため、一人あたりが生み出す情報量は日増しに増えています。
Fig-080214
ここに示した図 (Fig-080214)は、2006年度のうちの会社の事業説明会のために作った説明資料です。
映像に関してのモバイルコンテンツとHD (Hi-Definition)コンテンツの予測みたいなことを書いていました。
これからのコンテンツは、家や映画館などそれなりに設備が整った環境でじっくりと視聴する高解像度のものと、気軽に視聴できるモバイルコンテンツの2方向 に進むと思います。もちろん、モバイルコンテンツもHDのベクトルに近づくとは思いますが明確に分かれていくと思います。
モバイルコンテンツの本質は、「いつでも・どこでも・誰でも」というところにあると思いますが、同時に「質より量」のような感じになってしまっています。 「いつでも・どこでも」という瞬間的な欲求を満たすだけの「コンテンツ」はいわゆる消耗品であり、そのときの人間の欲求が満たされれば捨て去られる運命に あります。
そのような消耗品にDRMをかけようとしている日本の業界の姿は、意味もなく「既得権益を守る」ことに必死ですね。DRMをかけてまで守る「作品」はどれ だけあるのでしょうか。そのときだけの流行に流されたり、一時的な欲求を満たすだけでなく、「本当に良い」ものはいつまでも残り続け、「作品」と呼ばれる ようになります。
このような「作品」と呼ばれるような秀逸なものを作り上げるには、多くの人の協力が必要だと考えます。
昨今、PCがあれば一人でもある程度の形にできてしまうので、ある程度のクオリティで世の中にリリースされてしまう消耗品音楽が増えています。映画のよう に脚本家、監督、カメラマン、キャスト、CGスタッフ等、役割分担をして、それぞれの分野で最高の能力を発揮しないと「作品」が作れないのと比較すると、 その違いがよくわかります。
現に、作詞、作曲、編曲、ミックス、マスタリング等、役割分担された作品は長く残り続ける傾向にあります。音楽って、「詩」が心に響くものもありますし、 「メロディ」が頭に残るものもありますし、もちろん両方が融合しているものも多いですよね。音楽は何か人間の感情を揺さぶる力を持っています。それにもか かわらず、PCが普及し携帯電話が一人一台持てる国では、感動が薄い音楽が溢れる時代になってしまいました。
そのため先進国では、音楽産業がコンテンツという消耗品 (筆者はインスタントミュージックと読んでいる)を作る産業になってしまった気がします。0(無)から1(有)を生み出すように創造するのではなく、放っ ておけば0になってしまう1を数多く作る産業になってしまったのかもしれません。モバイルというのは人を便利にする一方で、本当に大事な「もの」を衰退さ せてしまう諸刃の剣でもあることを心に留めておかなければならないと思っています。
そんな「消耗品の音楽しか聴いてないな」と心当たりがある方は、ぜひクラシック・コンサートに足を運んでみてください。音楽とは「耳だけで聞く」のではな く、「体で感じ」、「心に響く」ものであることが実感できますよ。モバイルで瞬間的な満足を得るのとは違って、長く感動が残ります。私なんか、クラシック コンサートの映像を見ているだけでも、「じわっ」とくるものがあります(笑)
このように、人の心を動かすことが携帯電話上で実現できないかと日々考えています。
(この第一弾が、「ケータイでもCDのように、こんなキレイな音がでるの〜!?」という、ケータイ向けリマスタリング技術の追求でした。)
モバイルでも「長く心に残るような体験ができる方法」を模索する私のアメリカでの活動はまだ始まったばかりです。
そんな本質に注目してこそ、ビジネスチャンスがありますよね。
これからは 「いつでも・どこでも・だれでも」手に入れられるオンライン&オフライン・コンテンツと、「今だけ・ここだけ・あなただけ」経験できる体験の融合によってコンテンツビジネスは活性化していくのではないかと考えています。
つまり音楽の例で言えば、ipodなどのデジタルミュージックプレーヤで再生できるデジタルデータやCD&DVDなどのオフライン(パッケージ)と、その アーティストのライブや公演に行くという体験の融合によって音楽産業は発展するでしょう。著作権などの権利処理がキーになっていくと思いますが、国や政府 などの壁を越える方法、アーティストに対する正当な分配モデルがうまく構築されるにはまだ時間がかかると思われますので、それまでは混沌とした状態がしば らく続くと思います。
これらがうまく処理されて初めて長く残る「作品」になっていくでしょう。
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2/14/2008
2/07/2008
Simple is best 〜モノゴトの本質〜
シンプル イズ ベスト
本質的に重要なものが長く残っていく。
自分が好きなSONYに思いを馳せて、任天堂との競争から窺い知れる私達に必要なものは何なのか考えてみた。
つらつらと書き綴っているため読みづらい箇所もあるが、ご容赦いただきたい。
先日の「 iPhoneが日本の携帯業界に及ぼす影響 (ユーザ編)」というエントリでも書いた。
危機感を持って仕事をしなければ日本に明るい未来はないように感じている。
不安を煽っているわけではない。事実を客観的に述べただけなのである。例えば、PCの生産拠点は中国、iPod、DS、PSP、携帯などのデジタル・ガ ジェットは台湾で量産され、それらの機器に使用されるコア技術の大半はアメリカとヨーロッパが特許を持っている。バイオテクノロジーに関する特許もアメリ カ、プログラマはインド。
もはや日本は注目されていない。ここ数年のGDP世界ランクの転落ぶりには悲しいものがある。
では、国際社会で負けないためにはどうすればよいのか?
自分の好きな言葉の一つに「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がある。
悩んだときには、「古きを訪ねて」みよう。
ソニーの友人の話によると、社内では昔の話をするのはやめようという雰囲気になっているという。おいおい、いきなり「古きを訪ねちゃダメビーム」です か?? そういえば私が以前勤めていた会社でも「新しいものを作るときには以前のクリエーターの実績にしがみつかず、従来の発想を壊し、斬新な発想でモノ を作り出そう」とよく言われたものだった。
つまり、従来の成功事例という表面的なものに囚われるのではなく、従来の考えを壊す際も「人間にとって大事なものの本質とその先にあるもの」について考えなければいけないということ。
ソニー創設者の一人である井深さんはエンジニア畑の技術の人というイメージが強かったのだが、会社創立時の設立趣意書の文章を読むと、井深さんは改めてクリエーターであったのかと思いを馳せる。
会社創立ノ目的として「日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動。…戦時中、各方面ニ非常ニ進歩シタル技術ノ国民生活内ヘノ即事応用………国民科学知識ノ実際的啓蒙活動」
また1946年5月7日に行われた東京通信工業の設立式で
「大きな会社と同じことをやったのでは、我々はかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。我々は大会社ではできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立てよう。」
と語ったという。
これらの理念は技術者にとって魅力的であるがエンジニアの欲求を満たすだけの自己満足でとどまらず、最終的には日本再建のことも考えるなど、「本質的に大 切にすべきもの」がシンプルに纏められている。戦争という、生きるか死ぬかという厳しい時代を生き抜いた人々の考えというのは、「マズローの要求段階説」 の最初のレイヤーから真剣に考えている。
私達の世代だと、生きることには不自由せず食べ物に関しても豊食の時代を過ごしてきてしまっているため、本質が見えづらいのか??(この件に関しては、また別の機会に投稿する)
最近の大企業がリリースするプロダクツやサービスは、兎角高機能化・高画質・高音質化に走っているものが多く見られる。私から見ればエンジニアの自己満足 や、無意味な広告戦略のための無意味な数字の羅列と過剰表現にも見える。マズローの要求段階説で言えば、途中からしか考えておらず、肝心の土台がない。
デジカメ − L版プリントに必要な画素数はせいぜい300万画素なのに、高画素数化で争っているところがある。
映像 − ハイビジョンは確かに美しい。フルスペックHDは技術先行でコンテンツが追いついていない。そもそも、HDコンテンツを必要としている人は人口のどれだけの比率がいるのか??
音楽 − オーディオインタフェースでは192kHz-24bit、ヘッドフォンなどでは再生周波数100kHz、といったものも見受けられるが、字のごとく音楽とは本来「楽しむ」ものではないのか??
ゲーム − ゲーム機は暇をつぶしたり、楽しんだりするもの。高画質化・高音質化する必要があるのか??
ゲームの高画質化・高音質化の必要性については、任天堂の岩田社長の言葉がそのすべてを物語っている。
「(一般消費者の)ゲームへの無関心が最大の敵だ。」
ソニーをライバル視していないわけではないと思うが、技術に注目しているのではなく、本質的なことを捉えている良い例だと思った。Wiiに使用されているプロセッサは最新のものではないし、PS3のパワーと比較すると少なく見積もっても数倍以上の差がある。
「とても高性能なプロセッサを作りました」 -> 「だからHD対応の高画質のゲームを作りましょう」 というのはエンジニアの自己満足に走ってしまい、ゲームをやる人がどれだけ高画質なものを求めている のか、またゲームをやらない人は何を求めているのか、本質を見誤ったのかもしれない。ここでいう本質とは、結果としてわかったから言えた結果論としての 「本質」なのかもしれないが。。。
まあ、そうだとしても、任天堂はソニーのプレステ1〜2で苦戦を強いられている間、ゲーム機を売るために「ゲームをやらない人々」を増やすためにはどうし たらいいかということを危機感を感じながら考えていたはずだ。任天堂はなかなか新しいものを導入しようとしない風土だと知り合いに聞いたが、そういった厳 しい状況下でも本質的に必要かつ斬新なものを慎重に取り入れているからではないだろうか。それは人材に関してもそういうポリシーらしく、中途採用などは新 卒採用に比べて極端に少ない。そんな任天堂の従業員一人当たりの売上高はトヨタやgoogleを軽く凌駕している。
会社の規模がある程度大きくなると、会社として「Going Concern」という使命がある以上、ベンチャースピリットのような考えは希薄になっていってしまうが、任天堂はうまくバランスを保っているところを見 習いたい。また、岩田さんという若い方に社長の座を譲った山内さんの判断も尊敬に値する。
ソニー井深さんの設立趣意書や、任天堂の山内さん、岩田さんに学べるものは、「厳しい状況下でも本質を見据え、果敢に新しいものを作ろうとする心構えと、目先の問題だけに囚われずにあるべき姿をもとに大きな目標をたて、常にそれを追求していこうとする姿勢」である。
一見複雑そうな問題も、分解して考えればシンプルなものに落ちるはず。
シンプル イズ ベスト
本質的に重要なものが長く残っていく。
自分も日本人として生まれた誇りを胸に抱きつつ、これからの未来、本質的に重要なことを捉えて仕事をしていければと思う今日この頃である。
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本質的に重要なものが長く残っていく。
自分が好きなSONYに思いを馳せて、任天堂との競争から窺い知れる私達に必要なものは何なのか考えてみた。
つらつらと書き綴っているため読みづらい箇所もあるが、ご容赦いただきたい。
先日の「 iPhoneが日本の携帯業界に及ぼす影響 (ユーザ編)」というエントリでも書いた。
危機感を持って仕事をしなければ日本に明るい未来はないように感じている。
不安を煽っているわけではない。事実を客観的に述べただけなのである。例えば、PCの生産拠点は中国、iPod、DS、PSP、携帯などのデジタル・ガ ジェットは台湾で量産され、それらの機器に使用されるコア技術の大半はアメリカとヨーロッパが特許を持っている。バイオテクノロジーに関する特許もアメリ カ、プログラマはインド。
もはや日本は注目されていない。ここ数年のGDP世界ランクの転落ぶりには悲しいものがある。
では、国際社会で負けないためにはどうすればよいのか?
自分の好きな言葉の一つに「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がある。
悩んだときには、「古きを訪ねて」みよう。
ソニーの友人の話によると、社内では昔の話をするのはやめようという雰囲気になっているという。おいおい、いきなり「古きを訪ねちゃダメビーム」です か?? そういえば私が以前勤めていた会社でも「新しいものを作るときには以前のクリエーターの実績にしがみつかず、従来の発想を壊し、斬新な発想でモノ を作り出そう」とよく言われたものだった。
つまり、従来の成功事例という表面的なものに囚われるのではなく、従来の考えを壊す際も「人間にとって大事なものの本質とその先にあるもの」について考えなければいけないということ。
ソニー創設者の一人である井深さんはエンジニア畑の技術の人というイメージが強かったのだが、会社創立時の設立趣意書の文章を読むと、井深さんは改めてクリエーターであったのかと思いを馳せる。
会社創立ノ目的として「日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動。…戦時中、各方面ニ非常ニ進歩シタル技術ノ国民生活内ヘノ即事応用………国民科学知識ノ実際的啓蒙活動」
また1946年5月7日に行われた東京通信工業の設立式で
「大きな会社と同じことをやったのでは、我々はかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。我々は大会社ではできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立てよう。」
と語ったという。
これらの理念は技術者にとって魅力的であるがエンジニアの欲求を満たすだけの自己満足でとどまらず、最終的には日本再建のことも考えるなど、「本質的に大 切にすべきもの」がシンプルに纏められている。戦争という、生きるか死ぬかという厳しい時代を生き抜いた人々の考えというのは、「マズローの要求段階説」 の最初のレイヤーから真剣に考えている。
私達の世代だと、生きることには不自由せず食べ物に関しても豊食の時代を過ごしてきてしまっているため、本質が見えづらいのか??(この件に関しては、また別の機会に投稿する)
最近の大企業がリリースするプロダクツやサービスは、兎角高機能化・高画質・高音質化に走っているものが多く見られる。私から見ればエンジニアの自己満足 や、無意味な広告戦略のための無意味な数字の羅列と過剰表現にも見える。マズローの要求段階説で言えば、途中からしか考えておらず、肝心の土台がない。
デジカメ − L版プリントに必要な画素数はせいぜい300万画素なのに、高画素数化で争っているところがある。
映像 − ハイビジョンは確かに美しい。フルスペックHDは技術先行でコンテンツが追いついていない。そもそも、HDコンテンツを必要としている人は人口のどれだけの比率がいるのか??
音楽 − オーディオインタフェースでは192kHz-24bit、ヘッドフォンなどでは再生周波数100kHz、といったものも見受けられるが、字のごとく音楽とは本来「楽しむ」ものではないのか??
ゲーム − ゲーム機は暇をつぶしたり、楽しんだりするもの。高画質化・高音質化する必要があるのか??
ゲームの高画質化・高音質化の必要性については、任天堂の岩田社長の言葉がそのすべてを物語っている。
「(一般消費者の)ゲームへの無関心が最大の敵だ。」
ソニーをライバル視していないわけではないと思うが、技術に注目しているのではなく、本質的なことを捉えている良い例だと思った。Wiiに使用されているプロセッサは最新のものではないし、PS3のパワーと比較すると少なく見積もっても数倍以上の差がある。
「とても高性能なプロセッサを作りました」 -> 「だからHD対応の高画質のゲームを作りましょう」 というのはエンジニアの自己満足に走ってしまい、ゲームをやる人がどれだけ高画質なものを求めている のか、またゲームをやらない人は何を求めているのか、本質を見誤ったのかもしれない。ここでいう本質とは、結果としてわかったから言えた結果論としての 「本質」なのかもしれないが。。。
まあ、そうだとしても、任天堂はソニーのプレステ1〜2で苦戦を強いられている間、ゲーム機を売るために「ゲームをやらない人々」を増やすためにはどうし たらいいかということを危機感を感じながら考えていたはずだ。任天堂はなかなか新しいものを導入しようとしない風土だと知り合いに聞いたが、そういった厳 しい状況下でも本質的に必要かつ斬新なものを慎重に取り入れているからではないだろうか。それは人材に関してもそういうポリシーらしく、中途採用などは新 卒採用に比べて極端に少ない。そんな任天堂の従業員一人当たりの売上高はトヨタやgoogleを軽く凌駕している。
会社の規模がある程度大きくなると、会社として「Going Concern」という使命がある以上、ベンチャースピリットのような考えは希薄になっていってしまうが、任天堂はうまくバランスを保っているところを見 習いたい。また、岩田さんという若い方に社長の座を譲った山内さんの判断も尊敬に値する。
ソニー井深さんの設立趣意書や、任天堂の山内さん、岩田さんに学べるものは、「厳しい状況下でも本質を見据え、果敢に新しいものを作ろうとする心構えと、目先の問題だけに囚われずにあるべき姿をもとに大きな目標をたて、常にそれを追求していこうとする姿勢」である。
一見複雑そうな問題も、分解して考えればシンプルなものに落ちるはず。
シンプル イズ ベスト
本質的に重要なものが長く残っていく。
自分も日本人として生まれた誇りを胸に抱きつつ、これからの未来、本質的に重要なことを捉えて仕事をしていければと思う今日この頃である。
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