1/27/2008

モノを書くこと

ブログで書くことが日本でも当たり前になってきたが、今日はその「書くこと」について少々考えてみる。

ブログを書くこと、SNSでカキコすること、Twitterでつぶやくこと。「web上で書く」ことに変わりはない。

日本のニュースを見ていると「ブログ炎上」が話題になるが、なぜそういうことが起きるのか?日本語でしか書いていないのであれば、ほぼ日本人しか読まないと思うが、そもそも「web上で書く」というのは、自分が想像しているよりも”はるかに”多く、また想像もつかないような価値観を持っている人たちにも読まれるということを意識しなければいけない。ブログを炎上させられてしまう人々は、その価値観や倫理・道徳といったことがフツーの日本人のそれらと違うことや、内輪ならウケると思っていたネタが世の中に出たら叩かれるといった塩梅ではないだろうか。

そもそも「炎上」するのは議論が活発化している場合もあるので、ポジティブな面もあるとおもうが、「炎上」というネガティブな表現を使ってしまうあたりが議論に慣れていない日本文化の現れなのだろう。

学校教育でも、国語+道徳+情報倫理みたいな感じで議論とwebライティングを取り入れればいいのに。でも、今の日本の状態ではしばらく先だろうな。せいぜい掲示板で陰口を言い合うネット版いじめみたいなweb利用なのかなぁ。そうしたらいじめられた子はネット嫌いになったりして。

ところで、ブログ炎上などが話題になり始めたのは、誰でもweb上にテキスト・写真・音楽・動画といった情報を簡単にしかも無料で発信できる世の中に急速になりつつある歪でもあるように思う。情報を発信した本人は、個人情報を特定されて命を奪われる危険を背負うリスクまでは想像しないと思うが、非道徳的・偽りの情報を発信された企業などは多大な損害を被るリスクがある。

一方では、出会ったことがない人でも、その人の考え方や過去の経験を知ることができるので、コミュニケーションを図る上では非常に有効だ。

でも、Twitterはゆる〜い「つぶやき」だから、そんなに心配しなくてもよい、と侮ってはいけない。その「つぶやき」はすべてアーカイブされているので、その人の行動パターンや嗜好などが後々わかってしまう。

SNSもリアル世界の本当の自分のことを書く人もいれば、全く違う人格をweb世界に作り上げる人もいるだろう。USでは自分の子供をいじめられた親が、いじめた子供に対して異性のフリをしてSNSで近づき、自殺に追いやった例まである。また、「mixi疲れ」のように、本人のライティング能力を超えて必要以上の更新を迫られて突然書くのをやめてしまうのも珍しくない。むしろ、更新するネタがないから毎日の食事の写真を撮る人も多いのではないだろうか。それはそれで、その人の好き嫌いがわかるから面白いのだが(笑)

このように、「web上で書くこと」というのは、少なからず社会や人に何かしろの影響を与えている、もしくは今後与えるということを意識しなければいけないと思う。

私は理系なので、書く文章の中に専門用語や特殊表現が多くなってしまう。つまりITリテラシーがある程度ある人向けに書いている部分もある。(ITリテラシーがない人でもわかるように書いてもいいのだが、例えが多くなりすぎて書く量と時間が大幅に増えてしまうため、このブログは割り切って書いている。)

というか、テキストマイニングして、ブログのタイトルの横にでもITリテラシー何個星とか、金融リテラシー何個星とか自動で表示するプラグインでもあれば理解の助けになるのかな。

「あなたの投稿する記事は道徳的に批判を受ける可能性のある表現や写真を含んでいます」みたいなチェックエンジンを作ってもいいかも。未成年向コンテンツフィルタは大人の余計なお節介かもしれないけど、このチェックエンジンはwebライティング経験が浅い日本人にしか受けないかな。

まあ、読者がどれだけ真剣に読んでくれているかは別としても、「web上で書く」ことっていうのは、書いた本人が思っているよりも影響力があるってことですね。

しかし、内閣府の「インターネット上の安全確保に関する初めての世論調査」結果が発表されましたが、うーん。日本は大丈夫かと思ってしまう。

自分が海外にいるから、その状況が大げさに見えるだけなのか?
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